会長コメント
2017年 新年のあいさつ(2017.01.01)
2016年 新年のあいさつ(2016.01.01)
新年明けましておめでとうございます。皆様のおかげで今年も無事に新しい年を迎えることができました。
2015年も嬉しい出来事と残念な出来事など色々ありましたが、大きな出来事としては全国障害者スポーツ大会でしょう。
県をはじめ、和歌山県聴覚障害者情報センターが先頭に立ち、当協会や手話サークルなど約650名の情報ボランティアが、情報保障やおもてなし等の取組みを工夫しながら大きな大会に貢献できました。それに関わった誰もが一生の財産になったのではないかと思います。また、3日間連続して朝早くから活動して下さった皆様にも心から厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。
県や情報センターに私たちのいくつかの要望と意見をほとんど取り上げていただいたので、様々な面での取り組みがしやすかったです。それに対しても心から深く感謝を申し上げます。
さて、当協会は、地域活動支援センター「紀州の手」を、2015年12月1日、和歌山市元寺町のある店舗をリニューアルしてオープンしました。
2012年12月からサロン会を始め、実績を積んで事業化へ移行したものです。18歳以上の聴覚障害者を対象としての事業は県下初です。これを機に、これから興す就労継続支援B型や老人ホーム建設への発展に繋げていきたいです。
本年4月からは、障害者差別解消法が始まります。直接的差別禁止、間接的差別(合理的配慮)禁止などの内容が、明確になり、制度化にされますので、どこからどこまでが対象となるのか判るため、訴えやすい面もあると思います。
また、本年4月から和歌山市手話言語条例と障害者コミュニケーションを支援(差別解消法の内容も盛り込む)する条例が施行される予定です。それらの法制度について、県民・市民への理解浸透の取組みがますます重要になってきますが、誰もが暮らしやすく、そして、社会参加と平等の実現に向けて、当協会も頑張って参ります。
本年10月で当協会創立70周年を迎えますが、昭和21年に創立した当時の関係者が殆どいない中、年配の方々に色々と聞きとり調査を行い、素晴らし記念集会を開催したいと思っております。
2015年 新年のあいさつ(2015.01.01)
昨年、秋の天気予報によると、「今年の冬は例年より暖冬」と言われていたのに、こんなに厳しい冷え込みはなんだろうと毎日思っています。
さて、2014年の象徴は、国に対する「手話言語法」の制定への取組みに、和歌山も大いに活躍したことです。
ご存じのとおり、諸議員と諸役所のご協力のもと、傘下団体である各郡市聴覚障害者協会、手話関係者とともに6月の定例議会から12月定例議会までの6カ月間という短期間で、県と全ての市町村が採択されました。皆様に心から厚くお礼を申し上げます。
また、全国の各市町村は、国に対して意見書の採択率が80%を超えており、今までになく大きな運動となっています。全日本ろうあ連盟は、全ての市町村100%を達成するまで頑張ろうと合言葉となっています。もちろん、私たちは地域が違っても思いは一緒で互いに励まし合っています。
しかし、12月12日に東京の都道府県会館にて行われた成果報告会で、全国手話通訳問題研究会会長が「現在、全国の専任手話通訳者の年齢層について、40歳から60歳までが80%、0.7%は20代です。法律の制定と同時に手話通訳者を育てなければ、法律に追いつけなくなる」と放ったのであります。
2013年10月に施行されました鳥取県手話言語条例について、鳥取県聴覚障害者協会事務局次長のコメントに「手話講座・講義派遣数は施行前と比較すると10倍、手話通訳者派遣数も2倍となっていて、手話に関する認知が広がってきてとても嬉しいです。」ということでした。
しかし、我々は、嬉しい反面、手話通訳者の人数、講座や講義への派遣の人材が困窮である課題があり、派遣者の健康を崩壊させないためには、手話通訳者と指導する人材を増やすことが急務であります。
2014年4月に、一麦会の所有物件をお借りし、当協会支部事務所として開所しました。手話言語法の取組み、政見放送手話付関係・・・様々な業務が増え、事務処理など多忙な日々です。それは、支部事務所(岩橋事務所)では自分たちで管理できるため、途中で終わることがなく、事務処理することができました。本部事務所(駿河町)だったら、自分たちで管理できないだけでなく、時間も限られていているので、ある意味、支部事務所を設けたのはタイミングが良かったと言えます。
本年は、もちろん国に手話言語法を早期に制定される取組みをしつつ、和歌山県と和歌山市手話言語条例の制定を取組みます。
また、皆さんご存じのとおり、黒潮国体(1971年)から44年ぶりに紀の国わかやま国体(9月)と紀の国わかやま全国障害者スポーツ大会(10月)が開催されます。
全国の障害者と聴覚障害者選手が和歌山に行ってよかったと思っていただけるように、当協会関係者、手話関係者(情報保障ボランティア)とともに現在、県と和歌山県聴覚障害者情報センターの指示を仰ぎながら色々と頑張っている所であります。
最後になりましたが、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
本年も昨年同様お引き立ての程宜しくお願い申し上げます。
会長 福田美枝子
支部事務所を開所(2014.04.01)
2014年 新年のあいさつ(2014.1)
謹賀新年(2013.01.31)
『11代目会長 福田美枝子からのあいさつ』(2012.07.10)
14年間苦労しながら、数え切れないほどの成功や発展を収めた10代目会長馬場正義からバトンタッチされ、何の取り柄もない私で本当にいいのか、とても不安と重荷を感じています。
10代目会長の馬場正義が言い伝えてきた「和歌山は一つ」の方針を、私も続けていきたいと思っています。
ただ、たんに「和歌山は一つ」だけではなく、「和歌山は一つ=公平と団結」とし、和歌山一丸となればと思っています。
65年の重みのある歴史の協会を、県内の会員の皆さんとともに、さらに築いていきましょう。
微力な私ですので、皆さんの支えが最低限必要です。どうぞよろしくお願いします。
開設(2012.04.01)
こんにちは
こんにちは。会長の馬場正義です。
2、3年前からホームページを開設しようという話はあったものの、なかなか実行できずにいましたが、ここにようやく開設することができました。こうしてほしいとかの御要望がありましたらいつでもお声をお寄せください。とことん活用していきたいと思っていますので、宜しくお願いします。
私は1963年度(昭和38年度)に和歌山県立和歌山ろう学校を卒業しました。その頃の社会は、今と違って「ろう」という理由だけで、車の運転や銀行のローンを組むことも出来ず、また職業も限られていて安給料ばっかりでした。「ろう」というだけで軽蔑した目で見られたこともあり、今では考えられない苦しい時代でした。そのような肩身の狭い状況の下で唯一の安堵感を得られたのは、ろう者のたまり場へ行き、聞こえない仲間と手話でコミュニケーションを取ることでした。そのたまり場からろうあ運動に参加した先輩も多く、私もその一人で、先輩の方々に可愛がられましたし、思い出がいっぱいあります。
当協会は、1946年(昭和21年)に初代会長の村井さんが先頭にたち、和歌山聾唖協会を創設しました。1991年11月に社団法人の法人資格を取得、そして2012年4月1日より社団法人から一般社団法人にかわり、『一般社団法人和歌山県聴覚障害者協会』という名称になりました。